「意見をする」とは?

会社で意見する――なんだか急に正義のヒーローみたいな顔になる人、いますよね。
「私は思ったことをハッキリ言うタイプなんで(ドヤ)」みたいな。

とりあえず落ち着いてほしい。

まず冷静に考えたいのは、“社内”という場所は、個人のステージではなく組織だということ。
そこにはチームがあって、役割があって、責任があって、そしてもちろん役職名や年齢などからくる上下関係という名の重力も存在する。

「思ってることを言う」=「意見する」ではない問題

ここが今日の核心。

自分の感想をしゃべることは「意見」ではない。

もっと言えば、「それ、あなたの感想ですよね?」というひろゆき語のとおり。

自分にとっての正義、自分にとっての正解――それを声量120%で押し付けても、それはただの“お気持ち表明”。ましてや、感情にまかせて言葉を発するものでもない。

もし「どうしても私の正義こそ世界の正解だ!」と思うなら、小さな会社でも作って自分がトップをやればいい。そのときは拍手する。しらんけど。

組織という舞台で求められるのは「最適化された言葉」

組織での意見とは、

組織の目的に沿って、制約の中で最適化された提案や視点を言語化すること。
そして、その言語化においては、冒頭に触れた重力を考慮してバランスをとること。つまり、相手の考え、相手の視点、相手の立場や現在地などいろんな要素があるため、それらを可能な限り理解につとめて、それらを並べた天秤がどこまでバランスをとれるか。

つまり、
「私はこう思う!」ではなく、
「組織が目指す結果にとって、今のこの組織ではこうするのが最適では?」
という視点。

これができず、ただ声を張り上げるとどうなるか?

・その場ではみんな聞いてるフリをする
・でも誰も具体的には動かない
・言った本人は「なんで誰もやらないんだ」と怒る
・周囲は少しずつ距離を広げていく(君子、危うきにほにゃらら)

そして残るのは、気まずい人間関係だけ。。。

「誰も動いてくれない」の真因は、わりと自分

相手が動かないとき、こう思う人がいるらしい。

「みんな意識が低い!」
「俺のレベルに追いついてない!」

でも、本当はただ単に、本人の伝え方が最適化されていないだけかもしれない。
もしくは、そもそもコミュニケーションスキルが足りていないだけかもしれない。つらいけど、わりとある。むしろこっちか。

つまり、変えるべきは相手ではなく自分

数年前、ある会社の社長がこう言われたことがある。

「自分は変えられるけど、相手はそうそう変えられないよ」

ほんと、これ。

自分を変えるとは「できない自分」を認めるところから

立ち居振る舞いを変えるとか、言い方を工夫するとか、そういうテクニックの前に、

できていない自分を認める。

これが最初の一歩。最適化できていない自分の視点や、発言の仕方、時には自分のスキル不足、そういう点をちゃんと認めること。認めないと変化はできない。

意見しているつもりの内容は、他責な発言に聞こえている事が多い。そして、そのことを注意してくれる人は少ない。だからなかなか本人では気が付けないし、言われてもなかなかその注意からして受け入れる人も多くはない。(そう考えると、なかなか詰んでいる話なのか?もしや)

ちなみに私は昔みたいに強引にメンバーを動かすスタイルは一切やめた。
なぜなら、圧力で動いているチームほど脆いことを見てきたから。それに何より、どんなメンバーであっても何かしら自分より優れている点が確実にあるから。基本、人と人なので、原則、リスペクトが先にある方が良い。(もちろん例外な人がいないわけではない。そこまで聖人にはなれない)

いずれにしても、強要や圧、暴言、失言、陰口などはどれも反発を生み、反発は組織を壊す。

意見とは、正義を叫ぶことじゃない

意見とは、

組織の目的に貢献するために、最適化された言葉で差分を生み出す行為。

感情や正義を押し付けることではない。相手を変えることでもない。

まず、自分を整えること。そこから、ようやくスタートライン。

……と、こんなことを考えていたので、頭の整理ついでに文章に起こしてみました。

あ、もちろんこれも私の感想ですけどね。
ただ、少なくとも組織の中では、感想だけじゃ世界は動かないって話でした。

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